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2020.01.06

2020年もよろしくお願いいたします

 今年最初の投稿となります。よろしくお願いいたします。

 さて、北海道留萌市の「FMもえる」で月1回(毎月第2水曜日)放送中の深川輝人工房のラジオ番組「VIVAふかがわ」ですが、今月の放送は都合により、15日(水曜日)午後7時から9時までに変更となります。ご了承ください。

2019.01.03

2019年もよろしくお願いいたします

 新年あけましておめでとうございます

 旧年中は 当ブログをご覧いただきありがとうございました

 当ブログは2004年1月3日に初めての記事を書きましたので

 本日15周年を迎えました

 今年も書きたいときに更新しますので 引き続きよろしくお願いいたします

2018.01.01

新年のご挨拶

あけましておめでとうございます
旧年中はいろいろとお世話になりました
今年もよろしくお願いいたします

2014.01.03

今日で10周年を迎えました

2004年1月3日に、このブログを開設してから今日で10周年を迎えました。

これまでに書いた記事の数は875件、それらに対するコメント158件、トラックバック139件でした。
ココログのサービスが始まったのが2003年12月とのことで、サービス開始後間もなくの本ブログ開始でした。

当時、自分のホームページを作ってみようと思っていて、加入プロバイダーの@niftyのサービスを見ていて、ココログのサービスを見つけました。これならできそうだと思い、始めたのがきっかけでした。

途中、記事を書かなかった時期もあり、ブログを始めた頃に比べると書き込みの頻度も少なくなりましたが、曲がりなりにも10年続けることができました。

これまで、拙い本ブログをお読みいただいた皆様に心よりお礼を申し上げます。

また今年1年間よろしくお願いいたします。

以上、876件目となる新年最初の書き込みでした。

2012.01.03

北海道を中心とした日本全図を購入

謹んで新年のご挨拶を申し上げます。今年もよろしくお願いいたします。正月三が日も最後となりましたので、今日から今年の本ブログの更新を行います。

新年を迎えたのを機に、新しい地図を部屋に貼りました。

北海道を中心とした日本全図

以前、出張先の施設で見かけた地図で気になっていました。しかし、売っているところを目にする機会がこれまで無かったのですが、昨年12月、札幌に行った際に立ち寄った書店のレジ付近に陳列されていたのを目撃し、購入してきました。そして、年末のカレンダー類の貼り替えの際に貼ったものです。

この地図はB1縦判の大きさで、「北海道を中心とした日本全図」という主題が付いた地図で、2010年7月1日に発売されました。札幌を中心とした正距方位図法で日本のすべての範囲が図示されており、札幌からの距離と方位が正しく表現されています。ただし、北海道を図のほぼ中心に置いて、方位を約100度回転させているとのことです。オホーツク海、千島全域、サハリンの主要地名が記載され、これらの地域が一目でわかる初の日本全図とのことで、地元深川市も地名表記されています。

同封のチラシに「プロジェクトに寄せる思い」が書かれていました。

「北海道の北東には豊かな海洋や島、大陸が広がっています。しかし一般的な日本地図において、北海道は『北東端』に位置し、本州や九州、四国の人たちのみならず、私たち道民でさえも、北海道の東や北に意識や目を向けてきませんでした。まるで北海道より東や北はない、というような固定観念を持ち続けてきたのです。
多くの可能性を持つ北海道の北東部を存分に見渡せるような地図をつくり、その固定観念を破りたい、そして北海道を中心とした日本全図をつくることで、ともすれば閉塞感に陥りがちな北海道を元気づけたい。」(同封のチラシより)

確かに北海道中心の地図はほとんど見かけないので、北海道の地理的位置が見渡せる、とても良い地図だと見たときに直感しました。

「思い」は最後にこう結んでいます。

「『北海道が発信する地図』によって、北海道が元気になり、『こんなに豊かで可能性を持ったロケーションで私たちは暮らしているんだ』という意識を持っていただければ、このプロジェクトは大成功です。」(同封のチラシより)

この地図を見ながら今年は、これまでとは違った視点から物事を見つめ直し、少しでも行動していくことができれば、と思いました。

なお、この地図についての詳細は(有)札幌グラフコミュニケーションズのサイトをご覧ください。

2011.03.21

東日本大震災~深川でも被災地支援の動き

このたびの東日本大震災により被災された皆様に心からお見舞い申し上げるとともに、犠牲となられた方々に深く哀悼の意を表します。しばらく大震災のニュースを見続けてきましたが、あまりに甚大な被害、原発事故にただ言葉を失うばかりでした。そして、深川でも被災地支援の動きが出てきましたので、blogの書き込みを再開しようと思います。

11日の大震災発生時は、隣の滝川市に仕事の関係で出張していました。突然の横揺れに話も中断。北海道の中でも地震の少ない地域で、結構大きな揺れだったので、大地震だと直感。滝川は震度3で深川もその程度の揺れだったようです。同じ部屋にいた人が携帯で宮城で震度7の大地震という情報をもたらしてくれた。会議が終わるまでに3回くらいの余震を感じました。

19日、札幌に行くと様々な団体が義援金を呼びかけていました。私が見かけた範囲では、南1西4の三越前の交差点では札幌青年会議所、ライオンズクラブ、札幌駅前通地下歩行空間(12日開通)ではHBCアナウンサー陣、コンサドーレ札幌選手、エスポラーダ北海道(フットサル)選手、札幌駅前広場では帰省中の福島大学学生など学生たちが呼びかけていました。各所で少しずつ励ましの募金をしてきました。

20日現在、深川市では被災地への支援として以下の取り組みが行われています。

生きがい文化センターに設置された義援金箱・義援金の受付(16日~当分の間):市役所、生きがい文化センターなど公共施設9ヶ所
・救援物資の募集(19日~22日正午):健康福祉センター「デ・アイ」
→上記の詳細:東北地方太平洋沖地震への対応について(深川市のサイトにリンク)
※特に救援物資の募集については上記サイトをご確認ください。

被災者へ市営住宅など提供[深川市のサイトにリンク](18日~原則1年間):30戸
※条件等は上記サイトでご確認ください。
・深川地区消防組合深川消防署から緊急援助隊派遣[深川市のサイトにリンク](22日~1週間)

また、20日の北海道新聞に深川で福島県双葉町の被災者家族を受け入れたという記事が出ていました。その方は深川市多度志出身で、同級生たちが地域の空き家を借り、家電製品などを持ち寄り、迎え入れたそうです。
原発逃れ避難所転々 深川の同級生、被災家族を迎え入れ

深川からこのような話題が発信されることは嬉しい限りです。

2011.01.03

あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。昨年10月末のモブログ更新以降、すっかりご無沙汰でした。昨年8月の終わりからツイッターを始めたこともあり、ブログとの使い分けを考えていたところ、新年を迎えた感じでした。

私にとっての2011年の正月休みも今日3日で終わりとなりました。備忘録的に記します。

元日は午前5時に地元の地域づくり活動の仲間と深川を出発して、留萌のコミュニティFM・FMもえるに行き6時から2時間新春番組を放送してきました。毎月1回、深川の番組を放送するのに関わるようになって4年が過ぎたところです。留萌は雪が多く路肩に雪山ができていて、いつもの冬の風景でしたが、深川はメインストリートの舗装路面が出ている程の少雪でした。今日になって少し新雪が積もりましたが、それでも例年に比べると雪がとても少ないです。留萌から戻った後は自宅で越年となった年賀状を書き、夕方、元日に届いた分の返し年賀も含め87枚を郵便局に投函して、年賀状書きからやっと解放されました。

2日は11時過ぎに深川市内のスポーツカフェに行き、箱根駅伝のパブリックビューイングに参加、といっても集まったのは6人でしたが。

自宅に戻ると、出身高校に勤務され、現在は退職され旭川に住んでいる元・先生から1冊の冊子が届いていました。

北海道庁立旭川高等女学校桜花会の30周年記念誌

その冊子は出身高校の前身の北海道庁立旭川高等女学校卒業生の同窓会「桜花会」の30周年記念誌でした。女学校があったのは戦前の話で最後の方の卒業生も既に70,80歳代に達し、1979年に結成された桜花会も2008年にファイナル総会を開催、2009年3月に刊行した記念誌をもって活動を終えたとのことでした。

記念誌に目を通すと、卒業生の回想記からは戦前の教育の様子が垣間見えました。旭川は旧陸軍第7師団がおかれた軍都であったため、戦争の影がより濃く反映されたようでした。中には深川から旭川へ当時1時間かけて列車通学した方の回想記もありました。

庁立旭川高女の卒業生には「原爆の図」で有名な故・丸木俊さん(空知管内秩父別町出身)がおられ、記念誌でもページを割いて、同窓会でも活動を支援したことなどが紹介されていました。

3日も11時過ぎに深川市内のスポーツカフェに行き、箱根駅伝のパブリックビューイングに参加、5人がカウンターでお屠蘇を飲みつつテレビ観戦。結果は早稲田大学が18年ぶりの総合優勝で終りました。大晦日の事前番組では早稲田大の深川での練習風景が放映されており、スポーツ合宿誘致を進める深川市にとっては非常にタイミングの良い総合優勝だったと思いました。

今年はブログの更新も少しづつでもしていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

2008.01.04

2008年もよろしくお願いします

 新年あけましておめでとうございます。今年最初の書き込みです。

 年賀状を見ると、コンサドーレ札幌のJ1昇格を祝う添え書きをされた方が結構いました。三浦監督は12位、勝ち点40という目標を設定していましたが、6年ぶりのJ1での戦いが待ち遠しいものです。

 さて、昨年の年末に札幌に行った際、新しいデジタルカメラを購入しました。5年間使用したCanonのPowershotA60が昨年壊れました。電源投入時にレンズが電動で出てくるのですが、途中で引っ掛かって出てこなくなりました。過去に一度同じ症状が出て、その時は修理に出しましたが、再発ということで買い換えることにしました。

 今回購入したのは同じCanonのPowershot S5 ISです。手軽に撮影するのは携帯電話のカメラで十分でないかと思い、これまでの機種よりサイズ的に大きいものにしました。光学12倍ズームなので、スタジアムでもよりアップな写真が撮れます。A60が200万画素で今度は800万画素です。本格的な撮影はまだこれからですが、一眼レフには及ばないもののファインダーを覗きながら撮るのに適した感じのカメラだと思います。

 何はともあれ、今年もよろしくお願いいたします。

2007.01.01

2007年あけましておめでとうございます

 新年あけましておめでとうございます。昨年の本blogの更新は携帯電話からのモブログ投稿が中心でしたが、今年はパソコンからの投稿も増やしていきたいと思います。

 さて、年が変わってしまいましたが、新年最初の記事として、私にとっての2006年を振り返ると・・・

 2月は初めて沖縄に行きました。新千歳空港から那覇空港までJAL直行便で往復しましたが、日本列島を空から存分に眺めることができました。地域づくり関係の全国研修会参加が目的でしたが、名護のファイターズキャンプも覗いてきました。
 3月はコンサドーレ札幌開幕戦を見に鳥栖スタジアムへ遠征、1-0で勝利して良いシーズンになるのではないかとその時は思いましたが・・・その足でJ1開幕戦の磐田×福岡戦を見に静岡スタジアム・エコパにも行きました。前月の研修会の様子が沖縄県広報番組で放映され、私が受けたインタビューの様子が放送されたり、仕事で見学したHBCラジオ「カーナビラジオ」に声だけ出演したこともありました。
 4月は廃止されたふるさと銀河線(池田~北見間)の乗り納めをしてきました。廃止間近で大混雑でした。車内で一緒に座った方に「次は神岡鉄道ですね」と言われましたが、結局行かず仕舞いでした。
 5月は遠征に明け暮れました。GWは初めてのフェリーで仙台に上陸し、フルスタ宮城でイーグルス戦、常磐線で南下して笠松で水戸戦を観戦、最後は東京で閉館間近の交通博物館を見納めしました。下旬には広島へ行き、広島市民球場でカープ戦観戦、原爆ドームや平和記念公園も見学しました。月末は日立柏サッカー場で柏戦を観戦。
 6月は名古屋へ。ナゴヤドームでドラゴンズ戦を観戦、昨年の雪辱を果たすことができ良かったです。久しぶりに旭山動物園にも足を運びました。
 7月は中旬の3連休に福岡へ。5年ぶりに博多祇園山笠追い山を見学し、ヤフードームのホークス戦ではファイターズ勝利でしたが、鳥栖戦はコンサ惨敗でした。
 7月下旬から8月中旬までの3週間は仕事の関係で長期の講習を受けました。そのうち札幌に10日ほど滞在し、ススキノ生活を送ったことは貴重な経験でした。
 9月は関西へ。神戸ウイングスタジアムの神戸戦、京セラドームのバファローズ戦を観戦。ファイターズプレーオフ進出決定の瞬間を目撃できました。
 10月下旬はコンサ・ファイターズ観戦三昧でした。21日のコンサ10周年記念の神戸戦を札幌ドームで見た後、名古屋へ飛んで日本シリーズ第2戦、札幌ドームで第3・4・5戦を連続観戦し、ファイターズ4連勝&日本一の瞬間を全て目撃できました。名古屋ではHBCラジオに電話出演しました。
 11月も地域づくり関係の全国研修会参加で名古屋へ行きました。
 12月はコンサドーレが天皇杯快進撃を果たし、駒大苫小牧・ファイターズに続いて年末の北海道を盛り上げました。

 今年はどんな一年になるのでしょうか?今年も本blogをよろしくお願いいたします。

2006.01.05

1通の重み

 今年最初の記事です。

 昨日、HBCで放送されていた、 「さんま玉緒のあんたの夢をかなえたろかSP」を最後の方だけ見ました。

 ちょうど、20歳の女性郵便配達員が、中国で郵便配達をしたいという夢をかなえるところでした。普段、その方はバイクで配達されていますが、中国の奥地での郵便配達の苦労を知りたいと志願。来たところはすごい奥地で、100km以上徒歩で点在する村を回るというもの。普段は2日でこなすという男性配達員と一緒に歩いて配達へ。3つの村を配達先の家に泊まりながら5日がかりで回るという過酷な配達で、最後には断崖絶壁を登り切って足も上がらない状態でした。

 彼女が偉いと思ったのは、苦労を知ることで自分が配達している郵便物の重みを知りたいという動機と足が上がらずに歩くのに難儀したときに、男性配達員がかばんを持とうと助け船を出しても、最後まで助けを借りずにかばんを持った使命感の2点でした。

 ハイライトは3つめの村で、高齢のためか字が読みにくくなっているお年寄りのために、男性配達員が手紙を音読してあげたところ。手紙は遠く離れた北京に住む孫からのものでしたが、そのお年寄りにとって大事なものであり、1通の郵便物の持つ重みを彼女に教えたのではないかと感じました。

 この話題を取り上げたのは、3日の北海道新聞に日本郵政公社が集配局の見直しを行い、過疎地の郵便局を中心に集配業務を廃止するという記事が出ていたからです(窓口業務は存続)。深川市内では音江局、更進局が対象候補になっていました。郵便集配体制の見直しで、1人当たりの配達距離が延び、配達員がその一翼を担っていたお年寄りの安否確認などに影響が出ることが懸念される、と別な記事に出てました。民営化を前に効率化を図る郵政公社の考えは理解できますが、「1通の重み」だけは、ないがしろにしないように願いたいです。

*本blogも1月3日で満2周年を迎えました。3年目も様々な話題を綴りたいと思います。よろしくお願いいたします。

より以前の記事一覧